第3回 ぼっち飯研究会のまとめ
文章書くのが苦手なので、話し合いのメモを参考にとりあえずスマホで書き起こします。話はあっちこっちに行ったので、読みにくすぎると思ったところは少し削って最後にまとめるなどしました。
参加者: 朝日、武蔵野大、K、会長、 他1名(合計5名)
- 話題「自分を変えたいと思ったこと」(by武蔵野大)
武蔵野大さんの話:自分を変えたい。自分の消極的なところ、コミュ力が低いところを変えたい。
- コミュ力とは何か
・孤独を恐れることがコミュニケーションのモチベーション。孤独を恐れなければ、コミュニケーションしようという気が起きない。
・孤独がモチベーションならコミュ力は技術。テニスでも、何かの動機(試合に勝ちたい、達成感を得たいなど)があって、技術を身に付けて、目的(勝利、達成)に到達する。ただ、この場合の目的とは?
・コミュ力は、 人を説得する力と協調性 。特に前者が重要。就職・恋愛(付き合うところまで)に必須。就職・恋愛には元気さも大事。
・改善したい点はすべき行動として感じられる。例えば、忘れっぽい⇒忘れ物をしない、など(実行できるかは別)。
・変えたい部分が自分に起因するなら、改善するべきところは見えるし、必ず改善できる。
人の前で一人で喋ったりするのは上手くできた。でも、誰かとムダ話を楽しく続けられるようになりたい。以前ムダ話をしていたときは、「相手の"自分"が強かったから、許容されてるけど、俺が俺として見られてる感じがしなかった」からしんどかった。
- その他の話題
なぜ人はムダ話をするのか
・人生の喜び悲しみは、対人関係の中で得られる部分がある
・孤独に耐えられないから。
・人と比較すると孤独を感じる。→山に籠るなどして比較しなければ辛くない
自分を変える方法の具体案
・ヒゲを伸ばす。
・ナンパする。
・自分を受け入れる。
- 会長の考察
そもそも、思い描く「コミュニケーション」の場面も人それぞれだった。「俺は○○の場面(例;面接で/好きな人の前で/人と二人きりのとき)では〜〜(例;元気に喋る/話題を提供する)がうまくできなくて困る」という風に場面分けして語っていい。それにも関わらず「俺はコミュ力が足りない」という風に、コミュ力という全てのコミュニケーションの元になる能力があるかのように語ることで、自分のより根本的な部分に欠如または欠陥があるかのように感じられてしまうのではないか。(上手いこと言えない)
武蔵野大さんが感じる、会話場面における「俺を俺として見てほしい」という気持ちは、メンバーの中でも「わかる」と「まあわからないでもないけどわからない」人とに分かれるものだった。「本当の自分」「自分の根本のところ」に触れてほしい、お互い触れ合いたいという気持ち(実存的交わりへの憧憬)は、コミュニケーションの苦手さを、場面に依らない「根本的に自分に属する能力=コミュ力」に求める姿勢になにか通じるものがあるように思えるので興味深いと思った。